大和高田市・本町、市町

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大和高田の町並み

■地区概要

高田寺内町は古代からの道である横大路(伊勢街道)に面し、一乗院平田荘の中心地である本郷と共に古くから発展してきました。町の核である専立寺は高田御坊と呼ばれ、慶長五年(1600)年に創建され、蓮如上人による大和布教以来の一向宗道場、本願寺直属の掛所御坊として寺内町を形成するようになりました。この頃、関ヶ原の戦功により入府した大名・桑山氏は、この地を城下町として計画的なまちづくりを行い、商工の町として発展するようになりました。
文化・文政の頃にはすでに戸数二百を超える経済の中心地となり、さらに江戸後期からの綿産業の発展と共に近代商工都市高田の母体となりました。
東西約220m~280m、南北約570m、面積約12.5haの高田寺内町には江戸後期から昭和初期にかけて繁栄した綿産業(織物、糸)を商う問屋や造り酒屋等の町家、そして銀行であった歴史的建造物等のこれら近代化遺産と共に品格のある町並み景観を現在も保っています。

■団体概要

私たちは、高田寺内町にある旧町名の本町1~5丁目と市町1~4丁目の自治会地域(約12.5ha)を範囲とした、まちづくり協議会として平成18年に発足しました。商店街や自治会としての繋がりだけではなく、まちづくりの対象を面と捉え地域全体の自営業からサラリーマン、主婦、リタイヤマンなど高田寺内町すべての人々が参加できる、まちづくり組織を目指しています。

■地区への思い

大和高田市本町・市町地区は歴史的に寺内町の性格と商店街の性格を併せ持つまちであり、そういった歴史・性格を踏まえた上で、このまちが今後どのように進んで行くべきかを、まちの人たちの意識を踏まえ、まちに住む人たち皆で考えて行く必要があります。 歴史的に見て、寺内町というまちのあり方は、まさしく共同体としての人と人のつながりの中から発生してきたものであるといえます。中世末から近世にかけての自由な雰囲気の中で、寺院を中心に人が集まり、そこに人と人のネットワークが生まれる。そんな自由でありながら、しっかりとしたつながりのあるまちが寺内町だと思います。 空家、空き店舗、空地が多くなり、このまち以外に住む人が増え、マンションに住む新住民とのつながりも含め、ネットワークが機能できない状態では困ります。将来においても、歴史を踏まえた品格を保ちつつ、活力ある住みやすい地域でありたいと誰しも願っているわけです。 そういったことを踏まえ、この本町・市町地区が、共同体として再生していくための基礎づくりを目指すのがこのまちづくり協議会の目的であり、このまちで生きる人々が少しでも幸せであると思えるような生活、そんな生活を支えるための人と人のつながりを考えていくことこそが、いま私たちがこのまちを考える上で一番必要なことなのでしょう。

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