高取町・土佐街なみ

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高取町の町並み

■地区概要

江戸時代に、城下町の町屋を通り西国第六番札所壷阪寺へ通じる土佐街道は、行き交う人々で溢れ、街道の両脇には油屋、鋳物屋、呉服屋など500棟もの商家がひしめき合っていました。
明治以降も薬の街として、薬草の栽培や製薬に従事する人々や、全国各地へ大和売薬を販売して回る人々で大いに賑わっていました。記録によれば、明治15年当時街道沿いに約300戸の民家がありその殆どは商店であったと記されています。昭和35年には約500戸の民家があり7割が商店でした。
しかし、漢方薬主体の売薬(配置家庭薬)・製薬業も西洋薬の飛躍的進歩とそれに伴う薬事法の規制強化や、安全な社会環境の崩壊に伴う戸別訪問販売が厳しくなる一方、薬局が地方の隅々までゆき渡り、唯一の産業である売薬・製薬業が次第に衰退していきました。
唯一の産業である売薬・製薬業の衰退に伴い、殆どの若者は大阪など都会に就労を求めて町を離れていって、人口減の大きな要因なっています。高齢化率が30%を超えるとともに単独世帯化が進み、地縁的なつながりにより形成される地域コミュニティの機能が低下し、災害や犯罪に対する不安やにぎわいの低下等地区が抱える課題が大きくなっています。
また、後継者不足等により歴史的に価値のある町家の多くが空家となっており、歴史的景観を保全していく上でもその利活用が大きな課題であります。
一方町財政は、破綻の一歩手前であり、行政の最大課題は経費の削減と新規事業の凍結であり、行政の資金的援助は望みにくい状況です。
現在の土佐街道沿いの街並みは、商店が殆ど郊外のデパートや大型スーパーに吸収され、それに伴い人通りもまばらになり、往時の姿は見る影もありません。しかしまだ、つし2階建て連子格子・虫籠窓・煙出・うだつ、黒塀、蔵などのある町家や高取城の二ノ門を移築した子嶋寺、藩主の下屋敷の表門を移築した石川医院、そして長屋門のある武家屋敷など城下町の景観が点在しています。

■団体概要

当NPO法人は、街なみ・町家を活かした観光振興、地域交流事業並びに左記の事業振興に関し他の団体への助成事業を行い、歴史文化の薫る土佐街なみに嘗ての賑わいを取り戻し、現在残っている城下町の景観を守り、次の世代へ着実に継承していくことに寄与することを目的とする。

■地区への思い

~高齢者は負の遺産ではなく地域の宝(貴重な資源)であることを実証する~
地域のハード資源である「旧城下町の景観」とソフト資源である「シニア住民のもてなし」をうまく噛み合わせ、シニア住民がこれまで培ってきた経験・知恵・技術・人的ネットワークや地域への想いなど、シニア住民の持つ魅力のすべてを結集することで魅力溢れる「観光交流地域」、並びにシニア住民の健康や生きがいを育み地域社会で安心して生きるための装置として機能している社会的・文化的なコミュニティとしての「居住福祉地域」を創出して、「地域経済」と「シニア住民の心身機能」の二つの活性化を図る。

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